一浪して大学に入学したことは、私のコンプレックスのうちの一つである。なぜなら、一浪したという事実は、自分には他の人々を凌駕する圧倒的な勉学の才能が存在しないという残酷な事実を突きつけてくるからである。さらに、一浪したという事実は今後いかなる努力をもってしても取り消すことは不可能なのだ。
入学から何年もたった今は大して思うところもなくなってきたが、不合格の事実を目の前にした瞬間の絶望は今でもありありと思いだすことができる。
そんな私は、同じ大学の後輩のある一言に衝撃を受けた。
「僕、ストレートで大学に受かっちゃったことがコンプレックスなんですよね。なんかストレートの奴ってつまんなくないですか?面白いやつってだいたい浪人してません?」
天変地異だった。
浪人した人間がコンプレックスを感じることはあれど、ストレートで合格した人間が、ストレートで合格したという事実にコンプレックスを感じる可能性などこれっぽっちも考えたことがなかったからだ。
浪人、ストレートのどちらが面白いかはさておき、この考え方は本当に衝撃的だった。
私は人と話していて一番面白いと感じる瞬間は、自分の頭の中には存在しない考え方・価値観などに出会う瞬間だ。それは今まで見えていなかった世界が急に立ち現れたように感じるからだ。
本書では、自分とは根本的に考え方が違う相手の考え方を、どうすればお互いが不愉快な思いをせずに変えることが可能になるかについて、具体的なテクニックを列挙する形で書かれている。
しかし、一番印象に残ったのはそのテクニックのうちのどれでもなく、相手が自分の認知に介入しようとしてきた場合に、相手に付き合ってされるがままにするべし、というアドバイスだ。
相手の考えを変えるにはどうすべきかよりも、自分の価値観を深化させるチャンスを逃さないほうが大事なのではないか、と感じた。そんなチャンスはなかなか巡ってこないのだから。